1945年5月29日の横浜大空襲。80年前の爆撃は、身近な街が受けたものだった。
多くの死者を出した横浜大空襲
住宅密集地域と工業地帯のある横浜は、29日に大規模な焼夷弾爆撃を受けた。5月半ば以降の名古屋・東京への空襲に続いて、大都市市街地への攻撃だった。空襲直後に発表された死者数は3,649人とされたが、実際の死者は8,000人にも及んだのではないかとされている。
上空から撮影された、横浜の工業地域から立ち上る煙。

今井清一『新版 大空襲5月29日―第二次大戦と横浜』(有隣新書、1995年9月)によれば、横浜大空襲は「一回の空襲としては極めて多くの戦災死者を出したといえる」。
その原因は、「B29が大量の焼夷弾を極めて短時間に投下し、激しい火災で一酸化炭素中毒や窒息者も多かったこと、横浜の中央部がそれまで無傷だったため避難する空地が乏しかったこと、丘陵と川の多い地形が裏目に作用したことなどが考えられる」という。
身近なところから記憶する
関内駅近くの大通り公園には、横浜大空襲の「平和祈念碑」が建っている。

空襲から47年目の1992年5月29日の日付が刻まれているが、この時すでに「当時を知る遺族も その多くは鬼籍に入り 犠牲者達の恒久平和を希求する声なき声を伝うべきよすがとて失われようとしている」と、空襲を伝えていくことの難しさが記されている。
鉄道への被害をたどると、横浜駅周辺、現在のJR・京急・東横・相鉄各線の駅が焼けたことがわかり、空襲で日常が破壊されることの恐ろしさが、身に迫って感じられる。
国鉄では、横浜駅の一部と高島駅、同機関庫、東神奈川駅、子安駅が全焼した。東京急行品川線では、新子安、新町、仲木戸の各駅、同湘南線(前者とあわせ現京浜急行)では戸部、日ノ出町、黄金町、南太田の各駅、同東横線は横浜、神奈川、反町、新太田町、東白楽の各駅が全焼した。同厚木線(現相模鉄道)も横浜駅と天王町駅が焼けた。(今井清一、1995.9)
市のホームページでは関連写真公開も
横浜市のホームページでは、「写真でみる横浜大空襲」というデジタルアーカイブが公開されている。戦後50年(1995年)に刊行された、同名図録をもとにした資料公開で、空襲被害を伝える様々な写真が掲載されている。
特に「5月29日」の資料からは、被害を受けた横浜市街の様子がよくわかる。



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